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栽弘義(さい・ひろよし)ー1941年、沖縄県糸満市生まれ。中京大学(名古屋市)を卒業後、沖縄県豊見城(とみぐすく)市の豊見城高を率いて春夏計7回の甲子園出場を果たし、3年連続でベスト8。また、80年からは沖縄水産高校で監督を務め、春夏計12回出場させ、90、91年には連続準優勝となった。
2007年5月8日、呼吸不全のため沖縄県の南部徳洲会病院で死去。
栽弘義監督は2007年3月に動脈瘤破裂のために倒れ、緊急入院し心臓緊急手術を受け成功したものの肺炎を併発し、呼吸不全のため亡くなった。葬儀には沖縄、九州の野球関係者を中心に3000人が出席し名将に別れを告げた。
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